嘘爛漫
四月馬鹿の骨鯰です。
「今日は、嘘をついても良い日なんだって」
鯰尾藤四郎は、部屋に飛び込んでくるなりそう言った。
冬が過ぎ去り、桜の花が綻び始めた、そんな季節。本丸の庭に植えられた桜はまだ満開とまでは行かないが、もう数日もすれば見頃を迎えるだろう。次郎太刀を筆頭にした何振かの刀剣男士などは、咲きかけの桜を肴にしてもう花見酒を始めている。満開を迎えれば、全刀剣男士を巻き込んで花見が開かれるに違いない。
──部屋に飛び込んできた鯰尾藤四郎の頭に何枚かの花びらがついているのを見て、骨喰藤四郎はまずそんなことを考えた。それから、彼の発言を噛み砕き、
「……嘘?」
と、首を傾げて繰り返す。鯰尾藤四郎は大きく頷いた。
「鶯丸さんから聞いたんだけど、なんか、そうなんだって」
言いながら鯰尾藤四郎は足取り軽く入室すると、卓袱台で読書をしていた骨喰藤四郎の向かいに座った。骨喰藤四郎は本に栞を挟み込み、ご機嫌の兄弟へと視線を向ける。
「鶯丸と話をしていたのか?」
本日、骨喰藤四郎と鯰尾藤四郎は非番だった。
暇を持て余した骨喰藤四郎は寝室で読書をすることにしたのだが、鯰尾藤四郎は骨喰藤四郎が読書を始めると、邪魔をしないようにか、はたまた他の誰かと暇をつぶすことにしたのか、とにかく部屋から姿を消していた。何をしているのだろうと気にして──まあ、正直あまり気にしていなかったが──ともあれ、鯰尾藤四郎は鶯丸と話をしていたらしい。
「鶯丸さんとっていうか、鶯丸さんと、あと出陣してない三条の人たちとね。あの人たち、物知りだから話を聞いてて楽しいよ」
言葉通り、楽しそうに鯰尾藤四郎は微笑んだ。普段と同じはずなのに、髪に桜をつけた鯰尾藤四郎の笑顔は不思議と普段より華やかに見える。
骨喰藤四郎は納得した。三条派や鶯丸、鶴丸国永と言った面々はやたらと縁側で日に当たることを好んでいる。ちょうど今の季節は桜がよく見えるため、三日月宗近などは、出陣さえ無ければそれこそ日が落ちるまでそこでじっとしていることもあった。鯰尾藤四郎はおそらく同じように縁側にでもいて、散る桜を頭に被ったのだろう。
「まあ、そんなわけだからさ」
鯰尾藤四郎は笑みを深めた。
「骨喰、なんか嘘ついて」
そう言われて骨喰藤四郎は内心で戸惑った。嘘だと相手がわかっている上で嘘をつくことに何の意味があるのだろう?とはいえ、鯰尾藤四郎はなにやらご機嫌だ。断って、彼の顔を曇らせることは少々躊躇われた。
骨喰藤四郎はどんな嘘をつくべきか、腕を組んで考えた。如何せん骨喰藤四郎は嘘が苦手である。嘘をつくことは良くないことだと兄である一期一振から躾られているし、骨喰藤四郎自身、嘘は好きではない。
──目の前の兄弟は、自身に関わることであれば嘘とまでは行かずとも、頻繁に誤魔化そうとするが。
「……なに?」
鯰尾藤四郎は瞬きをしながら、不思議そうに首を傾げた。肩口にかかる黒髪がさらりと零れ落ちた。骨喰藤四郎は思わず鯰尾藤四郎を睥睨していたことに気がついて、なんでもないと小さく返す。
兄弟たる鯰尾藤四郎の誤魔化し癖はひとまず置いておいて、今は嘘をつくことを考えよう。骨喰藤四郎は必死に頭を働かせた。
やがて、骨喰藤四郎は顔を上げた。
「──小夜左文字と国広の最高統率値だが」
「うん」
「国広の方が高い」
「そりゃ、脇差と短刀だからねえ」
鯰尾藤四郎は適当に相槌を打ち──
「…………え?」
そのまま固まった。
「……それ、嘘なの?」
嘘をつけと言ったのは鯰尾藤四郎である。骨喰藤四郎は頷いた。鯰尾藤四郎は堀川国広に同情するように、しばし痛ましげな顔をして──
「──って、そういうトリビアみたいな嘘じゃなくてさ!!」
鯰尾藤四郎は、ばしばしと自らの膝を叩きながら熱弁する。
「もっとこう、平和的で且つなんか笑い飛ばせるようなやつを!!」
「例えばどんなだ」
「んー」
口元に指を当てながら、鯰尾藤四郎は虚空へと視線をやった。それからぽんと手を打って、
「骨喰じゃなくて、実は皮喰でした、とか」
それはただの鈍らだ。内心でそう思ったが、骨喰藤四郎は口には出さなかった。
──いや、斬る真似をするだけで皮が斬れるなら、一概に鈍らとは言い切れないだろうか。骨喰藤四郎は、自らの由来へ、一瞬真剣にどうでもいい思いを馳せる。
鯰尾藤四郎の挙げた例を参考にするかはともかくとして、また新たな嘘を探すために部屋をぐるりと見渡して──ふと、鯰尾藤四郎の髪についた桜が目に留まる。
「……そういえば、さっきから髪に桜がついている」
鯰尾藤四郎は不満げに唇を尖らせた。
「だから、そういうんじゃなくてー」
「いや、これは嘘じゃない」
言いながら取ってやろうと鯰尾藤四郎へ手を伸ばすと、鯰尾藤四郎は慌てて自分で髪に手をやった。ぞんざいな手つきで頭を払うと桜の花びらがひらひらと寝室の床に落ちていく。
「も、もっと早く言ってよ」
「似合っていた」
そう言うと、鯰尾藤四郎はきょとんと目を丸くして──
「……うそ?」
照れているのか、僅かに頬を染めて胡乱げに問いかけてくる。骨喰藤四郎は瞬きをした。
「嘘じゃない」
そう、嘘ではない。鯰尾藤四郎の黒髪に、淡い桜色はよく映えていた。鯰尾藤四郎はことあるごとに骨喰藤四郎の銀髪を「綺麗だね」と褒めるが、骨喰藤四郎は鯰尾藤四郎の黒髪の方が余程綺麗だと思っている。桜の花びらがついた鯰尾藤四郎の黒髪は、実に雅やかだった。歌仙兼定の言葉を借りるならば、風流と言ってもいいかもしれない。そんな風に似合っていたからこそ、骨喰藤四郎は指摘するという行為が頭に浮かばなかったのだ。
嘘ではなかったが──そうか、こういう風につく嘘もあるのか。骨喰藤四郎は目から鱗の落ちる思いがした。
──それならば。
骨喰藤四郎は、向かいに座る鯰尾藤四郎の手に自らの手を重ねた。きょとんとした顔でこちらを見返す鯰尾藤四郎に向かって、
「──好きだ」
そう、告げる。
「……うぇ?」
鯰尾藤四郎はぽかんと口を開けて──その顔が、じわじわと赤くなる。
その珍しい表情に、骨喰藤四郎は桜がついているのを指摘したことを後悔する。頬を紅潮させた鯰尾藤四郎に、骨喰藤四郎は何故かやたらと惹きつけられた。できることなら鯰尾藤四郎のこの表情を飾られた姿で拝んでみたかった。
「まっ……そう、そういうのは、ずるいというか、そういうのはっ」
真っ赤になって言葉を搾り出す鯰尾藤四郎をまっすぐ見つめたまま、骨喰藤四郎は薄い唇を再び開いた。
「嘘だ」
一瞬にして鯰尾藤四郎が真顔になる。もしもここが本丸の庭であれば、かこん、とししおどしが空気を読んで音を発したに違いない。
鯰尾藤四郎はものすごく不満げな表情になった。
「骨喰嫌い」
「……」
思いの外怒らせてしまったようで、骨喰藤四郎は目を丸くした。もっと気楽な反応が返ってくると思っていたのだが。
黙したままじっと見つめてくる骨喰藤四郎の視線をどう捉えたか──何故か、鯰尾藤四郎は再び頬を朱に染めた。
「き、嫌いって言ったけど、別にこれは嘘とかじゃないからな!? 俺は嘘ついてない!」
慌てたように両手をばたばた振りながらそう叫ぶ。
「だから、べ、別に骨喰のことを好きって言った訳じゃ──ってうわぁ!?」
言ってから、鯰尾藤四郎は素早い動作で自らの口を塞いだ。頭を必死で左右に振る鯰尾藤四郎の手の隙間から、なしなし、今のなし、などという声が漏れ聞こえる。
混乱しきっているのかひとりで勝手にドツボへ嵌っていく鯰尾藤四郎に、骨喰藤四郎は──彼にしては非常に珍しいことであるが──思わず吹き出した。その様子を見た鯰尾藤四郎はますます顔を紅潮させた。
「ほ、骨喰の馬鹿!!」
鯰尾藤四郎は顔を真っ赤にしながらそう叫ぶと、部屋を飛び出していった。
どうやら機嫌を損ねてしまったようだが、不思議と骨喰藤四郎の胸中には満足感があった。鯰尾藤四郎の珍しい表情を拝めたせいなのか、それとも動揺する鯰尾藤四郎が面白かったのか、はたまたその両方によるものかはわからないが。
嘘をついていい日も悪くないのかもしれない。そんなことを考えながら、骨喰藤四郎は再び本に手を伸ばした。
──別に、どちらの言葉が嘘であるかなど、骨喰藤四郎は言っていないのだが。