記憶の随に 壱
特の頃の鯰尾と骨喰の話です。
鯰尾藤四郎が見る夢は、いつも紅い。
紅く。熱く。苦しく。
何かが崩れていく音に恐怖して。自分が希薄になっていく感覚に恐怖して。
──何よりも、大切だった銀色の何かが段々と失われていく感覚に恐怖して。
そうして鯰尾藤四郎は、夢からはいつも恐怖と共に目を覚ます。
「兼さんが、収穫したサツマイモで焼き芋するって」
堀川国広に笑顔でそう言われ、鯰尾藤四郎と骨喰藤四郎は顔を見合わせた。
季節は霜月も半ばを過ぎ、木々の生い茂る本丸は美しい紅葉に覆われていた。銀杏や紅葉、楓などが本丸を色鮮やかに彩り──そして、同時に大量の落ち葉をも発生させていた。
落ち葉それ自体は非常に優秀な肥料となり得る。そのためここ最近はずっと、畑当番に宛てがわれた者は、本丸内で出た落ち葉を集めて腐葉土にする作業もこなしていた。
今日の畑当番は目の前の堀川国広と、その相棒である和泉守兼定だったはずだが──。
「……焼き芋?」
鯰尾藤四郎が鸚鵡返しすると、堀川国広は頷いた。
「うん。落ち葉が多かったし、サツマイモもたくさん取れたからやるんだって」
本当のこと言うとね、と堀川国広は悪戯っぽく笑うと、内緒話をするかのように声を潜めた。
「兼さん、焚き火が好きなんだよ。子供みたいだよね」
「焚き火……」
骨喰藤四郎が小さく繰り返す。
「まあ、そんなわけだから。馬当番が終わって、もし暇だったら来てね」
笑顔のままそう言い残すと、堀川国広は踵を返して畑の方へと忙しなく走っていった。残された鯰尾藤四郎と骨喰藤四郎はもう一度顔を見合わせ、やがて止めていた作業の手を再び動かし始めた。
今日二人に割り当てられた当番は馬当番だった。鯰尾藤四郎は馬小屋の掃除、骨喰藤四郎は馬の手入れの仕事を行っていた。二人で馬当番をするときは、いつもこの役割分担になる。
骨喰藤四郎に自覚があるのかはわからないが、鯰尾藤四郎が見ている限り、馬に接している時の骨喰藤四郎の表情はとても柔らかい。口数が少なく、感情をあまり表に出さないためわかりにくいが、骨喰藤四郎はおそらく動物が好きなのだろう。初めての馬当番以来、鯰尾藤四郎はそれとなく馬の手入れを骨喰藤四郎に譲るようにしている。
──鯰尾藤四郎は何故か、普段からこうして骨喰藤四郎の世話を焼いていた。
理由は鯰尾藤四郎自身にもよくわからない。ただ、なんとなく骨喰藤四郎を放っておけないのだ。もしかしたら、同じように記憶を失っているという境遇が鯰尾藤四郎の庇護欲を煽るのかもしれない。
ましてや、骨喰藤四郎は記憶を失っていることを気にしている。その後ろ向きな姿が無性に気になって、鯰尾藤四郎はつい骨喰藤四郎のそばへ行ってしまう。
「焼き芋かー」
馬小屋に流した水をデッキブラシで汚れとともに外へ押し出しながら、鯰尾藤四郎は呟いた。
「俺、まだ食べたことないなあ。骨喰はある?」
「……無い」
「だよね。せっかくお誘いもらったし、行く?」
「……」
「──骨喰?」
返事が無いことを疑問に思い、鯰尾藤四郎は床に向けていた視線を骨喰藤四郎にやった。彼は馬の栗毛を梳かす手を止め、唇を固く引き結んでいた。鯰尾藤四郎には横顔しか伺えないが、その表情はどこか張り詰めているように見える。
「──もしかして、焚き火、怖いのか?」
「──」
そう問いかけると、骨喰藤四郎は小さく小さく頷いた。ひょっとしたら、それは首肯などではなく、ただの動揺だったのかもしれないが。
とにかく、骨喰藤四郎は「焚き火」という言葉に反応を示した。つまり、そういうことなのだろう。
まあ当然か、と鯰尾藤四郎は胸中で独りごちた。
鯰尾藤四郎自身も、そして目の前の兄弟も、炎に包まれた経験があるのだから。
特に骨喰藤四郎は、焼失した結果記憶を失ったことを気に病んでいる。炎を怖がるのは自然と言えるだろう。
──でも。
「大丈夫だよ」
そっと声をかけると、骨喰藤四郎はこちらに視線を向けた。その瞳には、明らかに恐怖の色が滲んでいた。
──骨喰は多くを語らない。表情を露にすることも少ない。
しかし、その紫眼は雄弁だった。
「大丈夫」
笑って、鯰尾藤四郎は骨喰藤四郎の手をとった。
「一緒に行こう」
「……」
骨喰藤四郎は、少しためらうかのように視線を彷徨わせたが、やがて頷いた。
馬当番を終わらせてから畑へ行くと、既に多くの刀剣が集まり大騒ぎとなっていた。
広い畑の一角で、大量の煙を蒼穹へと吐き出す焚き火は、人数分の芋の分だけその質量を膨らませているようだ。鯰尾藤四郎に焚き火の知識はほとんどないが、それにしたって規格外な大きさのように感じられる。とはいえ、刀剣男士約40人分ともなれば仕方がないのかもしれないが。
なんとなく、焚き火からは充分な距離をおいて鯰尾藤四郎は立ち止まった。それに倣い、骨喰藤四郎も足を止める。
風に乗って、焼け焦げた匂いと刀剣男士たちの騒ぎ声が鯰尾藤四郎たちの元へと届く。
「おい兼定! 俺一番大きいの頼むぜ!」
「うるっせーな生焼けのぶつけんぞ!!」
「ねー五虎退、虎に焼き芋あげていいー?」
「はっはっはっ蛍丸、虎は猫舌だからやめておいた方がいいぞ」
「ああああああの猫舌とかそういう問題では無くて虎は肉食なので……」
刀派も刀種も入り乱れて騒ぐその中心にある焚き火では、発起人の和泉守兼定がホイルに包まれた芋を獅子王に向かって投げつけていた。
「兼さん、食べ物投げちゃだめだよ」
「いーからお前は次の芋焼いとけ!」
「はいはい、まったくもう……」
冬の到来を告げる木枯らしが吹き荒れる中、思い思いに騒ぐ刀剣男士たちをやや離れたところで遠巻きに見て、鯰尾藤四郎はしみじみ呟いた。
「元気だねー」
骨喰藤四郎がこくり、と首を縦に振って同意を示す。
「じゃ、とりあえず芋を貰ってこようか」
「……ああ」
そうは言うものの、骨喰藤四郎はそれ以上そこを動こうとしなかった。鯰尾藤四郎は骨喰藤四郎を振り返り、
「……えっと、やっぱり怖い?」
「……すまない」
「あー、いや、謝らなくてもいいんだけど」
目に見えて骨喰藤四郎が消沈し、慌てて鯰尾藤四郎はとりなした。どうやら普段より精神的に弱っているようである。
「──ひょっとして、俺、無理に連れてきちゃった?」
そういうと、骨喰藤四郎はぶんぶんと勢いよく首を横に振る。
つまり、ここに来たことが嫌だったわけではないが、どうしても炎は怖いということなのだろう。鯰尾藤四郎は頭をかいた。
「じゃあさ、とりあえず俺が芋もらってくるよ。食べるだろ?」
「……食べる」
言葉と共に頷いた骨喰藤四郎を見て、鯰尾藤四郎は苦笑を浮かべた。
「鯰尾、来てくれたんだ」
焚き火の前に陣取る和泉守兼定の隣で、同じように焼き芋を配っていた堀川国広は、鯰尾藤四郎の姿を認めると顔を綻ばせた。
鯰尾藤四郎は燃え盛る焚き火へ僅かに視線を向け――しかしすぐに視線を外し、堀川国広に手を振った。
「お疲れー」
「馬当番、お疲れ様。寒かったんじゃない?」
「畑当番ほどじゃないよ」
「まあせっかくだし、ちょっと焚き火に当たっていけば? お芋も次のが焼けるまでちょっと時間かかりそうでさ」
「ん……」
堀川国広にそう勧められ、鯰尾藤四郎は曖昧に呻いた。焚き火の方を見れば、彼の弟である短刀たちが手と顔を赤くしながら焚き火に当たっている。
馬当番の仕事を終えて、まっすぐ畑に来たために確かに体は冷えている。なまじっか鯰尾藤四郎は水仕事も請け負ったため、特に指先は冷え切っていた。焚き火にでも手をかざせば、きっと温まることだろう。
──しかし。
「…………いや、骨喰待ってるし、やめとく。芋焼けてるのある?」
「お芋、今焼けてるのちょっと小さいやつしかないんだよね。それでもいいかな?」
「うん、大丈夫」
答えると、堀川国広は火かき棒で焚き火の中を掻き回す。
焚き火へは意識を向けないようにしていたはずなのに、鯰尾藤四郎はついその作業に目を奪われてしまった。
──炎が揺れ、積まれた落ち葉が崩れる様子を見て、鯰尾藤四郎の頭の中で何かが蠢いた。
紅さと。熱さと。炎に包まれ、崩れゆく落ち葉の光景とが。
鯰尾藤四郎の、頭の奥の奥を揺さぶった。
「はい、鯰尾」
堀川国広が笑顔で焼き芋を差し出し──その笑顔が不意に曇った。
「……大丈夫?」
「──え?」
気がつけば、鯰尾藤四郎は自分でも無意識のうちに、右手で頭を抑えていた。
「具合でも悪いの?」
「あ……や! なんでも、なんでもないから!」
慌てて鯰尾藤四郎は両手をぱたぱた振って、誤魔化すように笑顔を浮かべる。堀川国広はなおも心配そうに鯰尾藤四郎を見つめていたが、やがて小さく笑うと、焼き芋を2つ鯰尾藤四郎に差し出した。
「熱いから、気をつけてね」
「うん、ありがとう」
鯰尾藤四郎は2つの焼き芋を受け取ると、急いで踵を返した。
骨喰が待っているから、と胸中で誰にともなく言い訳をし、駆け足に近い速度で焚き火から離れていく。
──あの紅さから離れられたことに安堵する自分には、気づかないふりをして。
「骨喰、へいお待ちー」
ことさらに明るい声でそう言って、鯰尾藤四郎は満面の笑みで骨喰藤四郎に焼き芋を差し出した。
「……すまない」
「あったかいなー、焼き芋」
「ああ」
鯰尾藤四郎はホイルを剥いて、湯気の上がる焼き芋にかじりついた。
「あ。うまい。なにこれ」
一口食べて、感嘆の声を漏らす。中身は堀川国広の忠告通り熱かったが、馬当番の仕事の後であることに加えて吹きさらしの畑に立って食べている分、むしろ丁度いいくらいだ。
「蒸し芋とは全然違うなー。俺、こっちの方が好きかも」
「そうだな」
骨喰藤四郎もその意見には同意のようである。
皮が無い方が美味しいかもなー、などどぼやきつつ鯰尾藤四郎は齷齪と焼き芋の消化に取り掛かる。同じように骨喰藤四郎も、黙々と焼き芋を頬張っていた。
鯰尾藤四郎が口を開かなければ、骨喰藤四郎が口を開くことは少ない。この時も、しばらくの間二人は言葉を交わさずに焼き芋を食べていた。
その沈黙を破ったのは、骨喰藤四郎だった。
「──鯰尾」
「んー?」
「鯰尾は、平気なのか?」
「……焚き火のこと?」
手元の焼き芋に視線を落としたまま、こくり、と骨喰藤四郎は首を縦に振った。
「別に」
鯰尾藤四郎はなんとなく、骨喰藤四郎の方を見ないようにして答えた。
──そうすると、正面にある焚き火に自然と目がいってしまうのだが、鯰尾藤四郎は極力意識に留めないようにした。
「覚えてないしね、過去のことなんて。むしろ、覚えてないことがどうして怖いの?」
「……そういうものだろうか」
鯰尾藤四郎は、骨喰藤四郎の方を見てはいなかったが、その声から彼がどこか戸惑っているような気配を感じ取った。
「そういうもんだよ」
意図して切り捨てるかのように答え、鯰尾藤四郎は再び焼き芋にかじりつく。焦げた部分を口に含んでしまったらしく、苦味が口中に広がった。
苦いな、と口に出さずに鯰尾藤四郎は胸中で独りごちた。
「……感謝する」
「え。なに、突然」
骨喰藤四郎に突然そう囁かれ、鯰尾藤四郎は目を丸くした。
骨喰藤四郎はそれまで俯いていた顔を上げ、鯰尾藤四郎に視線を合わせた。
「鯰尾がいなければ、多分、来られなかった」
「骨喰……」
「鯰尾のおかげで、記憶がなくてもなんとかなると思える」
鯰尾藤四郎は、思わず目を瞬かせた。それから、ふ、と微笑みを浮かべた。
「どういたしまして」
骨喰藤四郎は少しためらうかのように俯いてから、しかしすぐに鯰尾藤四郎とまっすぐ視線を合わせ、はっきりと告げた。
「次の焚き火は、大丈夫だと思う」
──その言葉を聞いて、良かった、と鯰尾藤四郎は胸中で呟いた。
骨喰藤四郎は、段々と前向きになっている。鯰尾藤四郎と同じように、記憶がなくてもなんとかなると思うようになっている。
──不思議と鯰尾藤四郎は、そのことにひどく安心していて。
「……記憶がなくても、なんとかなるもんな」
誰にともなく呟かれた鯰尾藤四郎のその言葉は、木枯らしにのって消えていった。
そう。
覚えていないことなど、怖くはないはずなのに。
鯰尾藤四郎が見る夢は、いつも紅く。熱く。苦しく。
かつての記憶の残滓は、彼の意思とは裏腹に、鯰尾藤四郎を苛んでいた。