豌豆
鯰尾と骨喰が鞘豌豆の筋取りをする話です。
骨喰藤四郎は細い指先をそれの先端部に伸ばした。そっとつまんで──そして一息に折ると、そのまま横へ引いて筋を取る。筋は机の上に捨てるように置き、本体──すなわちサヤエンドウはざるへと移す。
骨喰藤四郎の目の前には山と積まれたサヤエンドウがある。こうして骨喰藤四郎が筋を取ったサヤエンドウ自体もそれなりの量があるのだが、それを遙かに超える量の、筋がついたままのサヤエンドウが長机の上で強烈な存在感を放っていた。つまるところ、まだまだこの筋を取る作業に終わりはないということである。骨喰藤四郎がそうして同じ作業をいくどか繰り返していると、横手から呆れたような声がかかった。
「……なんか、楽しそうじゃない?」
声の方を振り向けば、声と同じくらい呆れを表情に滲ませた鯰尾藤四郎が頬杖をついていた。彼の目の前には骨喰藤四郎と同じようにサヤエンドウの山がある。
骨喰藤四郎と鯰尾藤四郎、本日この二人に課せられた作業はサヤエンドウの筋取りだった。
骨喰藤四郎が暮らすこの本丸は、春夏秋冬に合わせて野菜を栽培、収穫できるほどに広大な畑を有している。刀剣男士の面々は、日々食べ頃を迎えた野菜を収穫し、その日の食卓の共とすることを常としていた。自給自足をすることで四十名を超える刀剣男士の食費を抑えられるだけでなく、農作業それ自体、肉体を使うために刀剣男士たちの良い鍛錬となる──これは審神者の弁だが、実のところ刀剣男士たちには農作業用の機械を扱えないため手作業で畑の世話をしなければならないのだと骨喰藤四郎は知っている。もちろん、鍛錬になるという目的もないわけではないのだろうが。
このように、畑を有していると実に利点が多いのである。
──本来は。
世の中にはなんにでも例外というものが存在する。言うなれば、今日がその例外の日であった。
骨喰藤四郎の前に鎮座ましますこのサヤエンドウの山は、畑当番に当たった者たちが、なにを勘違いしたのやら本丸の畑中のサヤエンドウというサヤエンドウを収穫してしまったためにできたものであった。本来サヤエンドウの、というか本丸の野菜や果実は少しずつ収穫時期がずれるように栽培されている。が、今日の畑当番──まあ、今剣と岩融なのだが──は熟していようが青かろうが構わず収穫してしまったようである。乱獲されたのはサヤエンドウ一種類のみだったが、四十人を超える刀剣男士たちの食事を賄うことを前提として栽培されている野菜のその総収穫量、たとえ一種類だとしても推して知るべし。今剣と岩融という二人とも猪突猛進な組み合わせであることを鑑みればさもありなん、と骨喰藤四郎は他人事のように納得していた。
何はともあれ現在本丸にはそれはそれは大量のサヤエンドウが存在している。これが冬であるならば多少の貯蓄とすることもできたかもしれないが、如何せん季節はどんどんと暖かくなっている。台所事情を取り仕切る燭台切光忠と堀川国広はサヤエンドウの処置に大変頭を悩ませていたが、何はともあれ食べる以外に道はない。そして食べるならば筋を取らねばならない。幸いサヤエンドウは味噌汁、煮物、炊き込みご飯と食卓に登場する幅は広かった。
そんなわけで骨喰藤四郎は黙々とサヤエンドウの筋取りに励んでいた。隣にいる鯰尾藤四郎も最初はせっせと筋取りを行っていたのだが──。
「……楽しそうか?」
「うん。ちょっとだけど」
左手で筋がついたままのサヤエンドウを弄びながら、鯰尾藤四郎はつまらなさそうに言った。どうやら延々と続く作業に飽きてきたようである。
確かにどれくらいの時間筋取りをやっていたのか、骨喰藤四郎もはっきりと覚えていない。今剣と岩融がしたり顔でサヤエンドウの山を本丸に持ち帰ってきたのは昼前だということは覚えているが。元から単純作業が苦にならない性格だからか、ひたすら筋取りに集中していたようだ。とはいえ筋取りに集中できるということは、この作業が嫌ではないということである。それは否定しない。なおかつ、筋を引くときの力加減によっては筋が途中で切れてしまう場合も多い。この微妙な力加減を要求されるのが無性に楽しくて──。
ここまで考えて、骨喰藤四郎はこっくりと頷く。
「楽しい」
そう告げると、鯰尾藤四郎は理解できないとでも言いたげに顔をしかめた。
「理解できない」
口に出された。
「もう俺飽きたよー。手とかすっごいサヤエンドウ臭くなってるし」
言って、鯰尾藤四郎はごろんと畳に転がった。骨喰藤四郎らが作業をしているこの部屋は、炊事場に近い空き部屋である。部屋の中央に配置された長机の上にはサヤエンドウの入った大皿と、筋の取れたサヤエンドウの入ったざるが二つずつ置かれていた。骨喰藤四郎は寝転がる鯰尾藤四郎の姿を見つつ、筋を取ったサヤエンドウをざるに移す。
「……まだやるの?」
どこか恨めしげに、寝ころんだ鯰尾藤四郎が骨喰藤四郎を見つめる。骨喰藤四郎は頷いた。当然である。サヤエンドウはまだまだ大量に残されているのだから。
とはいえ鯰尾藤四郎の気持ちも理解できる。なんせ骨喰藤四郎と鯰尾藤四郎は、今日は久々の非番の日だったのだ。もしもこのサヤエンドウ騒動がなければ、たまの休暇を満喫していたに違いない。偶然通りかかった炊事場がばたばたしているのを見た鯰尾藤四郎が、思わず「手伝おうか」と声をかけてしまったのが運の尽きと言うべきなのかもしれないが、骨喰藤四郎は鯰尾藤四郎が間違ったことをしたとは思っていない。
そして、そのような背景事情があることを考えれば、鯰尾藤四郎が作業に飽きたことを責める気など起きない。骨喰藤四郎はなにも言わず鯰尾藤四郎から視線を外して、サヤエンドウの筋取りを続ける自らの手元へ視線をやった。作業を続ける骨喰藤四郎を目の当たりにして、鯰尾藤四郎は不満げに呻きながらそれでも体を起こすとサヤエンドウをつまみ上げた。根が真面目な鯰尾藤四郎は、結局課せられた作業を投げ出すことはしないのだ。骨喰藤四郎は、彼のそんなところを好ましく思っている。
しばし二人とも黙って作業を続ける。ぺきぺきとサヤエンドウの折れる音だけが空間を支配した。
ぺきぺき。
ぺきぺき。
ぺきぺき。
「…………………………骨喰」
地の底から響くような暗い声で呼びかけられて、骨喰藤四郎は左隣に視線をやった。
「しりとりしよう」
顔中に悲壮感を漂わせた鯰尾藤四郎にそう持ちかけられ、骨喰藤四郎は思わず瞬きをする。
「だめ。無理。黙々とやるとか意味わかんない。しりとり。話そう」
「……わかった」
どことなく虚ろな瞳でぶつぶつと呟く鯰尾四郎の姿を見て、骨喰藤四郎は大人しく首肯した。鯰尾藤四郎の顔にわずかに輝きが戻る。
「じゃあしりとりの『り』からな! リス!」
「水泳」
「いぐさー」
『さ』。骨喰藤四郎はその手に握る物を見た。
「サヤエンドウ」
「サヤエンドウに着地するの禁止ぃ!!」
鯰尾藤四郎が手に持ったサヤエンドウを握りつぶしつつ叫ぶ。骨喰藤四郎は首を傾げた。
「何故だ」
「この作業を忘れるために会話してるからだよ!!」
もっともだった。
「わかった。やり直そう」
「ほんと頼むよ……」
半眼で鯰尾藤四郎に睨まれて、骨喰藤四郎は反省した。骨喰藤四郎はこの作業が苦ではないが、鯰尾藤四郎はそうではない。もっと彼に気を使うべきだった。今度はサヤエンドウに至らないようにしようと心に決めて、骨喰藤四郎は改めて『さ』のつく単語を思い浮かべた。
「榊」
「きつねー」
「粘土」
「……ドス?」
ドスて。骨喰藤四郎は内心でそう思ったが口には出さず、代わりに『す』が語頭にくる言葉を口に出した。
「筋取り」
「だからサヤエンドウに着地するなってばあああああああああ!!!」
涙目になって叫ばれる。サヤエンドウは、今度は両手でもって握りつぶされていた。
「もうなんなんだ骨喰! なんなんだ!!」
「すまない。無意識だった」
骨喰藤四郎は素直に謝罪した。とはいえ、さきほどから延々とサヤエンドウの筋取りを行っているわけで、骨喰藤四郎が自然とこの作業に関する単語を口にしてしまうのも無理からぬことである。
鯰尾藤四郎はぶんぶんと頭を横に振った。それに合わせて彼の黒髪が背中で揺れる。
「おしまい! しりとりおしまい!」
「そうか」
「引き留めろよー!」
言って、鯰尾藤四郎は横から骨喰藤四郎に抱きついた。抱きつかれた骨喰藤四郎はその勢いで少々横に傾くが、そのままサヤエンドウの筋取りを続けた。鯰尾藤四郎に抱きつかれるのは慣れっこである。
「このままぷろれす。ぷろれすごっこしよう」
鯰尾藤四郎は骨喰藤四郎の首筋に顔を埋めたまま、体を左右に揺らした。そうされると骨喰藤四郎の体は前後に揺れるわけだが。
現在、本丸ではプロレスが流行していた。きっかけはたまたまプロレスの生中継を見た獅子王と愛染国俊が大いに興奮し、二人がプロレスという名の取っ組み合いを始めたことだった。のりの良い刀剣男士が集まる本丸では、巧みな司会で選手入場の口上まで始める鶴丸国永、実況解説を務めた燭台切光忠、野次を飛ばす観客となった和泉守兼定、愛染国俊の幼なじみを自称し取っ組み合いを心配そうに見守る乱藤四郎などの協力により無駄に盛り上がっていき、あっという間に本丸中に「ぷろれすごっこ」は広まっていったのであった。
昨夜も、歌仙兼定対陸奥守吉行の二名による熱い対決が繰り広げられ(なお、「雅じゃない」としきりに喚いていた歌仙兼定は巻き込まれていただけという説もある)、刀剣男士たちは大いに盛り上がっていた。
閑話休題。骨喰藤四郎はこの間も絶えず筋取りを続けていた。
「プロレスをしていては作業ができない」
「真面目かー!」
鯰尾藤四郎はだだっ子のように首をぶんぶん振る。さすがに首もとでその動作をやられると少々鬱陶しい、というかくすぐったい。骨喰藤四郎は少し首を振ってから鯰尾藤四郎に向き直った。さすがに顔が近いが、まあ今更気にすることでもないだろう。
「鯰尾は休めば良い」
骨喰藤四郎のその言葉を聞くと、鯰尾藤四郎は顔を曇らせた。
「それは……嫌だ。骨喰だけ仕事させるなんて絶対嫌だ」
「……鯰尾のそういうところは好きだ」
思わず素直にそう告げると。
「うるさいです」
僅かに頬を紅潮させた鯰尾藤四郎が、ずびしと手刀を繰り出してくる。痛くはない上に照れ隠しだとわかっているからどうということもないが。
「じゃあどうすればいい」
「ぷろれすごっこしよう」
にっこり笑って言われる。顔は笑顔だが、目は笑っていない。鬼気迫るとはこのことか。
ふむ、と骨喰藤四郎は胸中で思案した。鯰尾藤四郎はどうやら大分この作業に飽きているらしい。とはいえこの作業の進捗はそのまま今日の夕飯に響くため、筋取りを投げ出すわけにもいかない。鯰尾藤四郎の主張としては、作業には飽きたが、一人休むのは嫌だ、といったところだろうか。要は、鯰尾藤四郎は楽しく作業をこなしたいのだろう。
──鯰尾藤四郎のやる気を保つのも、兄弟である骨喰藤四郎の務めである。骨喰藤四郎はそう結論づけて、ひとつ頷いた。
「──わかった鯰尾。勝負をしよう」
「……勝負?」
鯰尾藤四郎は骨喰藤四郎の首に腕をかけたまま、小首を傾げる。間近にある鯰尾藤四郎の顔を見つめながら、骨喰藤四郎はいつも通りの無表情の中にそれでも確かな自信の色を滲ませてこう告げた。
「サヤエンドウの筋取り競争」
「絶対やだ!!!!!」
涙声の鯰尾藤四郎の叫びが、本丸中に響きわたった。
* * * * *
ほねばみのばか──!と捨て台詞を残して、鯰尾藤四郎は部屋を飛び出していった。顔色ひとつ変えないまま骨喰藤四郎は筋取り作業を続けているが、その実、内心では割と落ち込んでいた。自分はなんと力不足なのだろう。鯰尾藤四郎のやる気を出させるどころか、貴重な働き手を失ってしまった。
自分に失望しながら深いため息をついた、その時。
「──ただいま!」
しゅた、と右手を掲げて鯰尾藤四郎が部屋へ飛び込んできた。骨喰藤四郎は思わず目を瞠った。
それは鯰尾藤四郎が戻ってきたからであり、そして──。
「──ごめんね骨喰、二人で作業やらせちゃって」
「うんうん、繊細な指使いを求められる作業なら任せてほしいな」
その背後に、堀川国広とにっかり青江の姿があったからだ。
骨喰藤四郎はそれまで絶えず動かしていた手を初めて止めて、目を丸くしたまま元の場所へ戻ってきた兄弟へ視線をやる。鯰尾藤四郎はぐっと握り拳を作りながら骨喰藤四郎を振り返った。
「よし! 四人で頑張るぞ、骨喰!」
四人で。胸中でその言葉を繰り返す。鯰尾藤四郎は、仕事を投げ出して部屋を飛びだしたわけではなく、助っ人を呼んできてくれたのだ。
──ああ。やはり。
骨喰藤四郎は自然と口角が上がるのを感じた。
「兄弟のそういうところが、好きだ」
「……うるさいよ」
鯰尾藤四郎はどこか照れくさそうに頬を染めながら、唇を尖らせた。