きみたち待ち人

『きみ待ち人』の後日談です。


「──あれ、骨喰? 何してるの?」
 縁側に腰掛ける骨喰藤四郎の姿を見て、堀川国広は思わず声をかけていた。



 今日は久々の快晴だった。
 梅雨に入ってからの連日の雨続きに、本丸ではこれでもかというほどの大量の洗濯物を貯めこんでいた。なんせ五十近い刀剣男士がひとつ屋根の下で暮らしているのだから、その洗濯物の量は推して知るべし。部屋干しなどで騙し騙し洗濯を行う日々が続いた中、久々に拝んだ青空のなんと美しかったことか。
 久方ぶりに洗濯日和を迎えた本丸で言を待たずに開かれたのは大洗濯大会である。とはいえ、この暑さに水仕事、明朗闊達な刀剣男士たちとくれば当然洗濯どころか水遊びと化してしまう場面も多々あった。水の掛け合いまではともかく、過熱しすぎて洗濯物を投げ合い始めた時は堀川国広も怒った。そりゃ怒った。
 本丸での生活が長く家事全般を得意とする堀川国広は、その第一回納涼本丸水遊び大会……もとい、大洗濯大会の総指揮を務めたため、今日は出陣を行っていない。しかし目の前の骨喰藤四郎は、他の者と共に出陣の任を命ぜられ──そして数時間前に帰城していた。今日の出陣はどうやらもう終わったらしいことは堀川国広も把握していたが、いや、把握していたからこそ、何をするでもなくひとり縁側に腰掛ける骨喰藤四郎につい声をかけてしまったのである。
 ぼんやりとした様子で座り込んでいた骨喰藤四郎は、首だけで堀川国広を振り返った。
「待っている」
 告げられた言葉を受け止めてしばし。堀川国広は、ああ、と納得の声を漏らした。
「もしかして、鯰尾が手入れ中?」
 骨喰藤四郎はこくりと首を縦に振る。
 この骨喰藤四郎という脇差は常日頃から、兄弟である鯰尾藤四郎が手入れ部屋へ入れられると、その手入れが終わるまで待機する癖があった。
「僕、主さんに言われて鯰尾を呼びに来たんだけど、いつ頃終わるとかわかる?」
 堀川国広はこの本丸で近侍を務めている。主として審神者の秘書のような役割を担っており、刀剣男士を呼び出すのもまた仕事のひとつだった。
 骨喰藤四郎は手入れ部屋へ視線を送りながら答えた。
「あと十分くらいだろう。多分」
「そっか。じゃあ一緒に待ってようかな。いい?」
「構わない」
 頷く骨喰藤四郎の隣に腰を下ろす。顔を上げると、目の前には洗濯を終えたいくつもの衣がその裾を風にはためかせていた。
 この庭以外にも、色んな場所を使って布団やら洗濯物やらが干されているはずだ。洗濯を終えるのに少々時間はかかったが、この陽気ならばもう大方乾いていることだろう。そろそろみんなに声をかけて取り込んだ方がいいかな。そんなことを考える堀川国広の横で、骨喰藤四郎が口を開いた。
「兄弟に何の用だ」
「特上の投石兵チャレンジさせるんだって」
 刀装作りは主に近侍を務める堀川国広か、刀装作りに優れる骨喰藤四郎が行っている。が、最近は刀装の在庫にも余裕が出てきたためか、審神者の気まぐれで他の者にその出番が回ってくることもしばしばあった。
 今日はその出番が鯰尾藤四郎というわけである。
「……鯰尾はあまり上手くない」
「いや、でも出すときは出してくれるでしょ」
 骨喰藤四郎の率直すぎる意見に、堀川国広は思わずフォローした。確かに堀川国広や骨喰藤四郎に比べれば、さほど優れているというわけではないが。
 一旦会話が途切れ、両者の間に沈黙が落ちる。自分でも気づかぬうちに、堀川国広の口から小さくため息が漏れた。
「大変そうだな」
「──あっ、近侍のこと?」
 耳聡くもため息を聞いたらしい骨喰藤四郎の言葉の意味が捉えきれず、僅かに反応が遅れてしまう。骨喰藤四郎との付き合いは長くなってきたものの、口数の少ない──というより単語の少ない骨喰藤四郎の言葉は時として唐突で、その発言の意図するところが解らないことが今でもたまにあった。
 ただし、本丸に来てからの付き合いの長さはそう変わらないはずなのに、鯰尾藤四郎はいつも骨喰藤四郎の言いたいことを的確に捉えてみせる。鯰尾藤四郎と骨喰藤四郎の会話を端から聞いていると、まったく言葉の情報が足りているようには思えないのに、本人たちは問題なく会話を成立させているのだから大したものである。
 堀川国広は苦笑しながら、
「んー、まあ仕事は多いけど……僕はどうも動いてないと落ち着かない性分みたいだから」
「そうか」
「多分、近侍の仕事が無かったら無かったで、また別のことをしている気がするよ。
 ちなみに、今、時間があったらやりたいこと第一位は脇差部屋の大掃除」
「……そうか」
 ちょっぴり声を硬くして骨喰藤四郎は相槌を打った。堀川国広たちが寝室として利用している脇差部屋は、お世辞にも片づいているとは言えない惨状である。脇差を主力とするこの本丸では、皆が出陣か遠征を行っているため、仕方がないと言えば仕方がないのだが。
「骨喰は近侍の仕事、嫌い?」
「任されればやる。それだけだ」
 まったくの無表情で言い放つ様がまったく彼らしい。そう思う堀川国広の横で、しかし骨喰藤四郎は僅かに眉を顰めた。
「だが……触られるのは、好きじゃない」
「あー……」
 納得してしまう。
「兄弟は何が楽しいのか、やたらはしゃぐ」
「鯰尾、触られるの好きだよね」
「理解できない」
 そう吐き捨てた骨喰藤四郎の眉間に益々皺が寄るのを見て、堀川国広は目元を和ませた。骨喰藤四郎が表情を露わにするのは珍しい。
 会話が途切れたのを見計らったのか、骨喰藤四郎は一度手入れ部屋へ視線を送った。
「骨喰、いつ頃から待ってるの?」
「鯰尾が手入れ部屋に入ってすぐ」
「……軽傷だったの?」
 問う堀川国広に、骨喰藤四郎は首を振った。
「中傷だった」
「──ってことは、4時間以上!?」
 堀川国広は思わず声を上げた。
「よ、よく待てるね」
 鯰尾藤四郎を待つ癖があることは知っていたものの、せいぜい手入れが終わる頃に迎えに行っている程度だと思っていた。まさか何時間も健気に……と評するのが相応しいかは解らないが、とにかく、ずっと待ち続けているとは。何百年か前に実在したという某犬公の逸話が堀川国広の頭をよぎる。
 呆然とする堀川国広に、しかし骨喰藤四郎は庭に視線をやりながら平然と答えた。
「大したことじゃない」
 それに、と口調を和らげて彼は続ける。
「待つのは、好きだ」
 ──そう言う骨喰藤四郎の穏やかな横顔は、僅かに微笑んでいて。
 堀川国広は目を丸くした。骨喰藤四郎が微笑う姿を見たのは、これが初めてだった。
 思わず言葉を無くしながら骨喰藤四郎の横顔を見つめて──
「……そっか」
 やがて堀川国広は、釣られるように微笑んだ。
 ──近頃の骨喰藤四郎は、随分と素直に感情を表に出すようになった。
 本丸に来たばかりの頃の彼は、常に身構えている雰囲気があった。誰に対しても怯えているような、一歩こちらに引いているような、そんな雰囲気が。
 しかし僅かに遅れてやってきた鯰尾藤四郎に出会って──再会して、と言った方が正しいのだろうか──骨喰藤四郎は明らかに変わった。まるで春の雪解けのように、蕾が綻ぶように、少しずつ骨喰藤四郎は頑なな態度を解いていった。初めは鯰尾藤四郎だけに。次に出陣を共にするものたちに。やがて、本丸の刀たち全員に。
 今でこそ骨喰藤四郎と堀川国広は何気ない談笑をしているが、数ヶ月前の骨喰藤四郎であれば、こちらに相槌を打つだけで決して骨喰藤四郎から口を開くことは無かっただろう。
 ──堀川国広は近侍であり、また、初期刀に並ぶ最古参たる刀の一振りである。
 骨喰藤四郎が本丸に来たそのときから彼を見てきた堀川国広は、彼が段々と心を開いていく姿にとても安心し──同時に、喜びを覚えていた。
「……何を笑っている?」
「ちょっと良いことがあったんだ」
「そうか」
 良かったな、と骨喰藤四郎は適当な相槌を打った。
 しばし二人の間に沈黙が落ちる。けれどそれは気まずいものではなく、どこかのんびりとした牧歌的な間だった。
「──あ。そうだ」
 その沈黙を破ったのは、堀川国広だった。
「骨喰、鯛焼き食べる? さっき主さんから貰ったんだけど」
 言いながら、堀川国広は懐から紙に包まれた鯛焼きを取り出した。
 近侍の仕事をしていると、こうして審神者からちょっとしたおやつを貰うことがたまにある。多分、ボーナスのようなものなのだろう。
「ずっと鯰尾を待ってたってことは、おなか空いてるんじゃない?」
「……良いのか?」
「うん、僕はあんまりおなか空いてないから。ひとつしかないし、鯰尾の手入れが終わる前に早く食べちゃいなよ」
 本当は遠征帰りの和泉守兼定に渡そうかと思ってとっておいたのだが、それは言わぬが華というものである。
「感謝する」
 やはり空腹だったのだろう、骨喰藤四郎は差し出された鯛焼きを素直に受け取った。包みから鯛焼きを取り出すと──迷い無くそれを二つに分け、その半分を堀川国広に突きつけた。
「半分」
「……えっ、いいの?」
「いい。食事は誰かと一緒にする方が何故か美味い」
 骨喰藤四郎はきっぱりとそう告げた。
 まさか骨喰藤四郎がそんなことを言い出すとは、堀川国広は想像だにしていなかった。変わったとは感じていたものの、こうして一対一で話してみると予想以上に変化があることに気づかされる。
 何はともあれ、そう言われては断るのも無粋である。
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
 堀川国広は顔を綻ばせながら差し出された半分──しっぽの部分を受け取った。
「骨喰は頭としっぽ、どっちが好きとかある? 兼さんはね、頭の方があんこ多いから好きなんだって」
 二人して鯛焼きにかじり付きながら堀川国広はそう言った。
 骨喰藤四郎は少し考えるように間を置いてから、
「国広はしっぽと呼ぶんだな」
「うん、みんなそうなんじゃない?」
「鯰尾は下半身と呼ぶ。頭は頭だが」
「…………なんかやだな……その呼び方……」
 生々しい。
 なんとなく堀川国広は、今まさに食べているたい焼きに対して食欲が減退する気がした。
 ──それにしても。
 堀川国広は最後の一口を放り込んで、くすりと笑みを漏らした。ちまちまと鯛焼きをかじっている骨喰藤四郎が、訝るようにこちらへ顔を向ける。その視線を受けながら堀川国広は微笑んだ。
「骨喰、さっきから鯰尾の話ばっかりだね」
「──」
 骨喰藤四郎はたい焼きを食べる手をぴたりと止めた。大きな瞳を数度瞬かせ──やがて、思いっきり眉を顰めると堀川国広から勢いよく顔を逸らした。
 不機嫌そうに眉間に皺を刻む彼の横顔は、しかし目元が微かに赤くなっていて。
 照れた顔も初めて見たかもしれないと、堀川国広はくすくすと笑った。
「……笑うな」
「ごめん、ごめん」
 謝罪はするものの、それでも自然と口元が緩んでしまう。骨喰藤四郎は憮然とした顔のまま、僅かに残された鯛焼きに八つ当たりするかのようにそれを一口で頬張った。
 その時。
「──お待たせー」
 まるで鯛焼きが無くなるのを見計らっていたかのようなタイミングで響いたのは鯰尾藤四郎の声だった。骨喰藤四郎と共に振り向けば、ひどく嬉しそうな笑顔の鯰尾藤四郎が手入れ部屋から出てきて──その目を丸くした。
「あれっ国広? どしたの? 兼さんさんの出待ち?」
「出待ちってなに」
 一応義務として突っ込みを入れておく。それをあっさりと聞き流した鯰尾藤四郎は堀川国広と骨喰藤四郎とを交互に見て、興味津々と言った風情で問いかけた。
「二人で何話してたんだ?」
「なんでもない」
 堀川国広が口を開く前に、骨喰藤四郎が強い口調で即答した。
 なんでもないどころか何かありましたと大声で叫んでいるかのような骨喰藤四郎の態度を受けて、当然、鯰尾藤四郎は怪訝そうに骨喰藤四郎の顔を覗き込んだ。
「なに? 俺に言えないこと?」
「なんでもない」
 骨喰藤四郎は同じ言葉を繰り返し、鯰尾藤四郎の視線から逃れるように顔を逸らす。
 堀川国広は苦笑しながら、骨喰藤四郎へ助け船を出した。
「鯰尾、主さんが呼んでるよ。投石兵チャレンジだって」
「ええー」
 鯰尾藤四郎は思い切り顔をしかめた。
「何で俺なの。骨喰とか国広の方が上手いんだから、やればいいのに」
「主さんの気まぐれなんていつものことでしょ」
「そうだけどさあ」
 鯰尾藤四郎は尚も不満げに呻いた。しかし、やがて諦めたかのようにひとつ息を吐くと傍らの骨喰藤四郎に向き直る。
「骨喰、悪いんだけど先に部屋に戻っててもらえる?」
「わかった」
 素直に頷く骨喰藤四郎に、鯰尾藤四郎は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「金の投石兵ちょちょいと作って、すぐ戻る。だから、待ってて」
「──ああ。待ってる」
 再び頷く骨喰藤四郎は目を細めた。
 ──堀川国広が、それが笑顔なのだと気付くのに僅かに遅れたのは、あまりにその笑顔が自然なもので、思わず惹きつけられるような微笑みだったからで。
 微笑み合う骨喰藤四郎と鯰尾藤四郎とを見ながら、堀川国広はこっそり肩を竦めた。
 骨喰藤四郎は確かに感情を表に出すようになった。笑うようにもなった。けれど、まだまだ鯰尾藤四郎にしか見せない面も持っているようである。
 その面が他の誰かにも素直に見せられる日が来るのだろうか。少し考えて、堀川国広は、いや、と自らその考えを否定した。多分、この笑顔はそういった領域のものではないのだろう。
 きっと、鯰尾藤四郎にしか向けられない笑顔だ。
 そしてそれは決して悪いことではない。それどころか、むしろ微笑ましさすらある。
「……じゃ、行こうか」
 頃合いを見て堀川国広は鯰尾藤四郎に声をかける。鯰尾藤四郎はうんと返事をして骨喰藤四郎に一度手を振ってから、歩き出す堀川国広の後をついていく。
「近侍の仕事、大変だなー」
「それ、さっき骨喰にも言われたよ」
 兄弟だねぇ、と堀川国広が笑うと、鯰尾藤四郎は面白がっているのか恥じているのか、どちらともつかない曖昧な笑みを浮かべた。
「じゃあ、鯰尾、刀装作り頑張ってね」
 刀装部屋の前まで来たところでそう言うと、鯰尾藤四郎は首を傾げた。
「国広は入らないの?」
「僕は洗濯物を取り込まなきゃいけないから。主さんにも伝えてくれる?」
「それはいいけど……」
 鯰尾藤四郎は考えるように言葉を切った。
 よくよく考えると堀川国広が刀装部屋までついていく必要は無かった気もするが、まあ大した手間ではなかったからいいだろう。
「……こっちが終わったら俺も手伝おうか?」
「ううん、適当に声をかけるから大丈夫。ありがとう」
 堀川国広は鯰尾藤四郎の申し出を丁重に断った。出陣した鯰尾藤四郎に、本丸内の家事を手伝わせるのは少し申し訳ない。普段から家事は出陣や遠征の任に着いていない刀剣男士たちの仕事である。
 ──それに。
「骨喰が待ってるんでしょ?」
 笑いながらそう言うと、鯰尾藤四郎はひとつ瞬きをして──半眼で堀川国広を睨みつけた。虚を突かれた時の反応が骨喰とそっくりだなあと堀川国広は半ば他人事のように感心する。よくよく見てみれば、鯰尾藤四郎の目元もやはりほんのり赤くなっていた。
 鯰尾藤四郎は半眼のまま無言で刀装部屋に入ると、振り向きざまに堀川国広へひとつ舌を出した。それから勢いよく刀装部屋の扉が閉められる。堀川国広にからかう心算はなかったのだが、どうやら少々機嫌を損ねてしまったようである。
 まあいいかと軽く考えて、堀川国広は固く閉じられた刀装部屋から庭へと視線を移した。そこでは風に揺らされながら、洗濯物が取り込まれるのを待っている。遠征組はまだ帰ってきていないが、おそらく適当な部屋を当たれば手の空いている刀剣男士は見つかることだろう。
 ──堀川国広は顔を上げて、庭の先に広がる遠い山々をその瞳に映した。見えているわけでもないのに、そうしていると堀川国広の相棒が赴く遠い遠征地は、少しだけ近くに感じられる気がした。
 兼さん、早く帰ってこないかなあ、と。
 そう思ってしまうのは、あの二人に感化されたからなのかはわからないが。
 和泉守兼定を出迎える瞬間を微かに心待ちにしながら、堀川国広は踵を返した。