君は桜に攫われない

夢を見る骨喰の話です。


 夢を見ていた。
 桜の花が舞う中で、彼と共に過ごす日々の夢を。



 そこは白い世界だった。
 空虚であるというよりは純真無垢と評すべき、一点の穢れも無い白の空間。
 世界に存在するのは俺と彼、そして一本の大きな大きな樹木だけ。すべての花芽を開け広げ、星の数にも及ぶ花弁を昂然と風に揺らす桜の樹。
 淡く色づいた桜の花びらが二人を取り巻きながら、はらはらと、ひらひらと、踊りながら地に積もる。花びらが舞い散る中で、彼は笑う。つられて俺も笑う。
 風が吹いて、また花びらが舞う。俺たちを囲むほどだった桜の花の欠片は、今や視界すべてを埋めるほどにその数を増やしていた。無数の花弁に覆われながらも、その隙間から覗く彼の笑顔に俺も微笑みを返す。爛漫と咲き誇る桜の樹の下で、俺たちは笑い合う。
 花びらが舞う。彼が笑う。俺も笑う。
 花びらが彼を覆う。赤い紅い、桜の花びらが。

 ──紅い花びら?

 違う。
 花びらだと思っていたものは、一瞬のうちの火の粉へと姿を変じていた。
 彼を焼き尽くし、灰へと帰さんとする紅の蓮へと。
 炎が彼を包み込む。彼はそれでも穏やかに笑っている。俺は無我夢中に彼へと手を伸ばした。
 けれど傍らにいたはずの彼に、俺の指は届かない。手を伸ばせば伸ばすほどに、炎に巻かれた彼の姿は遠くなる。待ってくれ、と唇を動かす。どこへ行くんだ、と喉を震わせる。けれどそのどちらの悲鳴も、彼に辿り着くことなく業火に呑まれて消えていく。
 焦って一歩踏み出した瞬間、水音がした。気がつけば、俺は足もつかぬほどに深い水の中にいた。炎に半ば焼き尽くされた彼は、それでも微笑みを湛えたまま、高いところから俺を見下ろしている。
 暗く澱んだ水中に落ちた俺の目に映る光は、彼を焦がす炎だけ。
 濁った水をかき分けて、俺は必死に前へ進もうとする。この手で彼を引き止めたくて。この声を彼に届けたくて。しかし逸る心とは裏腹に、水をかけばかくほど俺は深く深く水底へと堕ちていく。彼との距離が開いていく。
 彼に、置いていかれて、しまう。

 そのうちにも彼はいよいよ炎と一体になり──


 衝撃が、襲った。





 殴られたような衝撃に、骨喰藤四郎は目を覚ます。
 反射的に、鈍い痛みを訴える側頭部へ手をやると、周りから甲高い声が上がった。
「わぁーっ! ほねばみさん、ごめんなさいーっ!」
「ごめんなさい骨喰兄さん!」
 なにやら謝罪の言葉を口にしながら、真っ青な顔で骨喰藤四郎へ駆け寄るのは今剣と秋田藤四郎のふたり。その後ろにも何人かの刀剣男士がいるようだが、眠りの淵からいきなり現実(うつつ)へと引きずり出された骨喰藤四郎の頭は目の前の短刀しか認識できていない。
 縁側に下ろした腰を上げることすらできぬまま、骨喰藤四郎は近づいてくるふたりの顔をただぼんやりと見上げた。
「ほねばみさん、あたま、だいじょうぶですか!?」
「兄さん、ごめ、ごめんなさい、僕がちゃんと受け止めなかったから!」
「あきたくんはわるくないんです、ぼくが、ぼくがへんなところになげたから」
「……」
 何を言っているのだろう、と思った。涙声で放たれた彼らの言葉の手がかりを得るべく辺りを見回すと、縁側に腰掛けた骨喰藤四郎のすぐ足元に、短刀たちがよく遊びに使う軟質の球が転がっている。顔を上げた先に臨む庭では、何人かの短刀が満開を迎えた桜の下に集っているのが見えた。
 側頭部に受けた衝撃。半泣きの今剣と秋田藤四郎。足元に転がる球。集う短刀たち。
 これらの状況から察するに、短刀たちがこの球でなにか遊びをしていて(そう言えば、眠りに落ちる前にそんな光景を目撃していた気がする)骨喰藤四郎に被弾した──そんなところだろう。
 起き抜けで混乱していた頭が次第に落ち着いていく。自分よりも余程狼狽している今剣と秋田藤四郎に向かって口を開き──
「ふたりとも落ち着きなって。骨喰、大丈夫?」
 間に割って入ったのは、微睡みの中でも聞いた声。長い黒髪を揺らしながら、彼は紫の瞳で骨喰藤四郎の顔を覗き込んだ。
 自分に向けられたその顔は、よく見知ったものであるはずなのに、何故か名前が浮かんでこない。
「……鯰、尾」
 思い出せなかった彼の名前は、それでも唇が勝手に紡いでいた。
「だ……大丈夫だ」
「ほんと? 良かった。ほら、平気だって」
 鯰尾藤四郎──そう、鯰尾藤四郎だ──は明るく笑って、涙ぐむ今剣を振り返る。
「ほんとうにごめんなさい……」
「平気だ。気にするな」
 すん、と小さく鼻をすすって頭を下げる今剣に、骨喰藤四郎は素っ気ない言葉をかけてやることしかできない。代わりを務めるかのように、鯰尾藤四郎が骨喰藤四郎の肩を軽く叩きながら、
「そうそう、気にしない気にしないー。戦場じゃいつも石を投げられてるんだし、今更ボールが当たったくらい蚊に刺されたようなもんだよ。ねっ?」
「ああ。そうだ」
 骨喰藤四郎はあまり深く考えず、鯰尾藤四郎の言葉に頷いた。
「気を取り直して、続きをやろう。えっと、ここはどっちの外野になるんだっけ?」
 転がった球を拾い上げ、鯰尾藤四郎は短刀たちを振り返る。その言葉に応えたのは乱藤四郎だった。右手を高く突き上げて、明るい笑顔を浮かべる。
「はーい! ボクたち、チーム粟田口の!」
「そっちか。そうだ、骨喰も一緒にドッジボールの審判やってよ。えっとね、乱が隊長なのが『チーム粟田口』で、薬研が隊長やってる方が『チームよりどりみどり』」
「チーム分けに突っ込んだら負けだぜ、骨兄」
「なんで薬研がどや顔なんだよ」
 と、笑いながら薬研藤四郎を小突くのは愛染国俊である。
 今剣と秋田藤四郎を連れ、鯰尾藤四郎は大きな桜の樹の下へと戻っていく。桜が咲き誇るもとで、短刀たちの玉遊びは再開された。骨喰藤四郎は半ば夢見るような足取りで、彼らが無邪気に戯れるその場所へと向かう。
 ──眠りに落ちている間、骨喰藤四郎は何かを見た気がした。
 見た気はしたのだが──『何か』とは、一体なんだっただろうか。それは既に骨喰藤四郎の手を離れ、思考の遠く彼方へと姿を霞ませている。思い返そうとしても、その正体を掴むことはできなかった。覚醒してから時間を経るほど、自分はただ眠っていただけのように思えてくる。突如たたき起こされたことで骨喰藤四郎の頭が混乱して、なにかを見たなどという勘違いをしてしまっているのだろうか。
 けれど。

 桜が舞う中で、短刀たちが玉遊びをして笑っている。
 それを見ている兄弟も、楽しそうに笑っている。
 骨喰藤四郎は、どうしてかその光景から目を逸らすことができなかった。





 今剣が、こちらに向かって大きく手を振っている。もう出陣に行く時間だと言う。
 まだまだ刀剣男士の不足しているこの本丸では、一日のうちに出陣と待機を繰り返す。今剣の他にも数名の短刀たちが出陣任務を課せられているため、白熱していた玉遊び(ドッジボールというのだと、骨喰藤四郎はこの日初めて知った)は切り上げる運びと相成った。出陣へ向かう短刀たちを見送りながら、骨喰藤四郎と鯰尾藤四郎のふたりは何とはなしに、未だ桜のもとに留まっている。何もすることがないから場所を動かないとも言えるだろう。そんなことを考えながら、骨喰藤四郎は短刀たちに手を振り返す鯰尾藤四郎を横目で見つめた。
 この兄弟の明るく面倒見の良い気質は尊敬に値する。刀派を同じくする弟たちは、愛想に欠けた骨喰藤四郎にも歩み寄ろうとしてくれるのだが、骨喰藤四郎は、どのように彼らに接すればいいのか正直よく解らないままだ。もっと正直なことを言えば、それを改善しようとも思わないのだが。骨喰藤四郎は、愛想も無ければ記憶も無い自分に、他人が懇意にするべき価値を見出していなかった。
「──骨喰、ほんとに頭、大丈夫?」
 不意に、鯰尾藤四郎が首を巡らせ振り返る。骨喰藤四郎はぱちりと瞳をしばたたかせた。石を投げられているから、と口走った兄弟らしからぬ発言である。驚きから返答に窮していると、鯰尾藤四郎は骨喰藤四郎に手を伸ばし、
「やっぱり頭だからさ、ちょっと心配だよね。変な感じとかない?」
 触診のつもりかなんなのか、ぺたぺたと無遠慮に骨喰藤四郎の頭を撫で回す。
「大丈夫だ。本当だ」
「なら、良かった」
 鯰尾藤四郎は優しく微笑んだ。その頬を一片の花びらが掠めていって、骨喰藤四郎の心臓がどきりと跳ねる。それは甘く淡い痛みなどではなく、どこか焦燥めいた胸の高鳴りだった。
「さて、じゃあ俺たちはこのあと何をしようか。骨喰、なにかやりたいことある?」
「……特には」
 理由の見えない胸のざわめきを無視して、骨喰藤四郎は無表情にそう答えた。
「そっか。じゃあ、手合わせでもする? 修行、修行ー」
 断る理由はない。骨喰藤四郎は首を縦に振った。
「おーい、鯰尾ー」
 ふたりの間に割って入ったのは、馴染みのある声だった。骨喰藤四郎と鯰尾藤四郎が揃って視線をやると、ぱたぱたと忙しなく駆け寄ってくる堀川国広の姿があった。彼は鯰尾藤四郎の前に立ち、あのね、と口を開く。
「突然だけど、これから遠征に行ってもらっても良いかな。人手が足りなくて」
「うん、いいよー」
 二つ返事で頷く鯰尾藤四郎に、堀川国広は安堵したように息を吐いた。
「ありがとう。ほかの人はもう玄関に集まってるから」
「わかった。ごめん、骨喰。行ってくるね」
 そう言うと鯰尾藤四郎は穏やかに瞳を細めて、一歩足を踏み出した。彼が進んだその分だけ、骨喰藤四郎と鯰尾藤四郎との距離が開く。
 微笑む兄弟が、遠くなる。わずかに舞い散る桜の花びらをその身に受けて。
 どくん、と骨喰藤四郎の心臓が再び大きく鳴った。
 彼の身体を覆う桜の花びら。笑う兄弟。自分から遠ざかる、その姿。
 頭の中に、記憶(ゆめ)の欠片が浮かぶその度消えていき。
「……っ!!」
 反射的に、骨喰藤四郎は鯰尾藤四郎へと手を伸ばしていた。
 
 その手が──届く。

 兄弟の腕を強く掴みながら、骨喰藤四郎は自分の鼓動の音だけを聞いていた。
 じっとりと冷たい汗が背中に張り付く。早鐘を打つ心臓は、主人へ何かを訴えるかのようだった。彼を引き止めた指先が、まるで自分のものではないかのように冷え切っている。どうしてこんなにも自分が動揺しているのか、骨喰藤四郎は何もわからない。頭の中に浮かんだなにかは、泡沫のように儚く消えて最早その断片すらも掬い上げることは叶わない。けれどそんな胸中とは裏腹に、身体はどこかから湧き出る衝動に従順だった。ぼやけて揺れる視界の中、骨喰藤四郎は捕らえた腕が断じて兄弟のものであることを確かめるために、ゆっくりとその顔を上げた。
 自分と揃いの洋服に包まれた細い腕から順に視線を上らせる。夜のように黒い長髪を辿ると、首元には赤い髪紐と緩やかな後れ毛が覗き見え、やがて見慣れた紫眼に行き当たる。骨喰藤四郎が縋った人物は、真実、鯰尾藤四郎だった。そのことを確認してようやく、骨喰藤四郎は深い息を吐き出した。
 腕を掴まれた鯰尾藤四郎は瞳を丸くしていたが、骨喰藤四郎と視線があったその途端、奇妙な表情を浮かべた。
「──って、うぇえっ!?」
 表情だけでなく、鯰尾藤四郎は上げた声すら妙なものだった。彼は掴まれていない方の腕をおたおたと所在なさげに振りながら、
「な、ななななななに!? なんで泣いてんの!?」
「……ないてる?」
「泣いてる! すっごい泣いてる!」
「ほ、骨喰、大丈夫!?」
 鯰尾藤四郎のみならず、堀川国広までもが取り乱す。骨喰藤四郎は慌てふためく彼らを他所に、緩やかな動作で自らの頬に手を伸ばした。温かい雫が自らの指先を濡らす。無意識のうちに零れた滴りは、そのまま骨喰藤四郎の頬を流れていった。
 ──ああ、そうか。俺は泣いているのか。
 むしろ落ち着いた気分で、骨喰藤四郎はその事実を受け止めた。そうとわかると、堰をきったように骨喰藤四郎の瞳からは次から次へと涙が溢れ出す。
 箍の外れた感情は、普段は錆び付いた骨喰藤四郎の唇すらも揺さぶった。
「行かないでくれ」
 いつかどこかで。
 言えなかったその一言を、骨喰藤四郎は口に出す。
「俺を、置いて、いかないでくれ」
 とめどなく流れる涙はそのままに、本心をすべて曝け出しながら、けれど骨喰藤四郎の心は激情とはほど遠い場所にあった。
 縋る自分と縋られる兄弟を、どこか冷静に見つめる己がいることに骨喰藤四郎は気がついていた。薄い膜を一枚隔てているような、映像を見ているかのような、今この場所で起きていることはなんら自身と関係がないような、そんな心地がしている。
 この胸を焦がす焦燥も、この腕に握る温度への安堵も、確かに今、自分が抱いているはずなのに。
「え、で、でも……これ主命で……」
 鯰尾藤四郎は、すっかり困った顔で堀川国広を振り返った。
 兄弟のその言葉に、骨喰藤四郎は微かに──本当に微かに──彼の腕を掴む指先を震わせる。それまでの衝動が嘘のように心の奥底へ引いていくのを骨喰藤四郎は感じていた。
 きっと自分はこの結末を知っていた。こうして引き止めたとしても、鯰尾藤四郎はきっと行ってしまうであろうことを。
 当然である。これは主から課せられた任務なのだから。骨喰藤四郎のわがままひとつで、はいそうですか、と鯰尾藤四郎が任務から解き放たれるわけがない。そんなことは初めから解っていて──それでも、嫌だったのだ。

 彼に置いていかれてしまうことは、どうしても嫌だった。
 そんなことをしたら、彼はそのままどこかへ行ってしまう。そんな確信があった。

 ──いつかどこかで、置いていかれてしまった時のように。

 だから、衝動のままに手を伸ばした。遠ざかる彼を繋ぎとめたくて。
 けれど結局、届いたところでこの手は何も意味を成さなかった。
 兄弟は行ってしまう。自分は置いていかれる。
 ただ、それだけだ。
「……解っている。言ってみただけだ」
「え……ええー……」
 気だるい諦観に襲われながら、凍りついたように硬くなった指先を解いていく。鯰尾藤四郎の腕を放してやると、彼は脱力した声を出した。
 骨喰藤四郎はいささか乱暴に手の甲で涙を拭うと顔を上げた。未だ戸惑いの表情を浮かべる鯰尾藤四郎の顔を正面からは見つめられぬまま、骨喰藤四郎はそっと唇を動かした。
「行って、くるといい」
「う、ん……」
 鯰尾藤四郎は迷うように頷いて、その身をくるりと翻し、
「あのさ、国広。骨喰も一緒に遠征に行っちゃだめ、かな?」
 兄弟の唇から飛び出た提案に、骨喰藤四郎は目を丸くした。気まずい心持ちをすっかり忘れて反射的に鯰尾藤四郎へ視線をやると、彼は堀川国広に向かって、まるで拝むがごとく手のひらを合わせているところだった。
「お願い! 遠征頑張るから!」
「お、お願いって……」
 鯰尾藤四郎に大げさな挙動で懇願された堀川国広は、気圧されるようにその身を引く。
「えっと……僕だけじゃ良いとも悪いとも言えないから、とりあえず主さんに伝えてくるね」
 報告連絡相談は大事だからね。堀川国広は生真面目な顔でそう告げてから、不意に目元を和ませた。
「良い返事がもらえるように、頑張るよ」
「ありがとー国広! さっすがー!」
「ま、まだ決まったわけじゃないからね? とりあえず、ふたりとも出陣の準備だけはしておいて!」
 万歳をして喜ぶ鯰尾藤四郎に釘を刺し、堀川国広は来たときと同じくらい慌ただしく審神者の元へと駆けていく。
 目の前で繰り広げられた交渉に、骨喰藤四郎はついていくことができなかった。呆然と遠ざかる堀川国広の背中を見つめ、それから鯰尾藤四郎へ視線をやって、彼らの会話を自分の中で噛み砕く。
 ──鯰尾藤四郎は遠征に行ってしまうはずだった。骨喰藤四郎を置いて、遠い遠いどこかへ行ってしまうはずだったのだ。
 そのはず、だったのに。鯰尾藤四郎は。どうすると、言った?
 堀川国広を見送った傍らの兄弟は、どこか得意げに骨喰藤四郎を振り返った。
「一緒に行こうよ、遠征。それなら骨喰を置いていかなくて済むだろ?」
 優しい微笑みを浮かべた鯰尾藤四郎に、骨喰藤四郎の手のひらが掬われる。見開かれた骨喰藤四郎の瞳から、涙の最後のひとしずくがこぼれ落ちた。
 言葉もなく向かい合うふたりの間を、桜の花弁が過ぎていく。
 それでも手のひらは固く繋がれたまま。
 目の前の兄弟は、どこへも行かないまま。
 骨喰藤四郎のそばに、いてくれる。
 そのことが、声も上げられぬ程に骨喰藤四郎の心を震わせる。
「……っ」
 骨喰藤四郎は何度も何度も頷いて、言葉の代わりに、鯰尾藤四郎の手のひらを強く握り締めた。



 いつかどこかで。
 なにも掴めなかった手のひらが、こうして大事なものを掴んでいる。
 遠ざかってしまった彼が、そばにいてくれる。
 それだけのことに、ひどく安心するのは何故だろう。

 ──本当は、その理由をなんとなく察しながらも。
 頭の片隅に残された記憶(かこ)の残滓に、今は、そっと目を伏せた。