ひとの望みの歓びを
2021年11月の閃華にて無配した話です。
物吉貞宗がそれを見つけたのは、秋も盛りのころだった。
「あ、花火ですね」
棚の上へと伸ばした指で掴んでみれば、目に飛び込んでくるのは派手な色使いで書かれた花火の二文字。薄っすらと埃が積もった透明な袋の中では、何本もの手持ち花火は整然と並んでいる。
物吉貞宗は背伸びをして周囲をうかがってみるが、ほかの花火は見当たらない。おそらく、このひと袋だけが残されていたのだろう。
「はなび?」
呟きながら手元をのぞき込んでくる馴染みの太刀を振り返り、物吉貞宗は微笑みを浮かべた。
「はい、花火です。ソハヤさんが顕現する前に本丸で花火大会をおこなったので、その残りじゃないでしょうか」
ただひと袋だけ残されているのを見るに、これだけ余ったというよりは、単に蔵の中に置き忘れてしまった、というところなのだろう。
物吉貞宗とソハヤノツルキが日々を過ごすこの本丸には、いくつかの蔵が用意され、食料品の蔵、戦道具の蔵、といったように物品によって保管場所が定められている。
その中でも今ふた振りが足を踏み入れているこの蔵は、そのどれにも当てはまらない品々が半ば放り込まれるような形で仕舞い込まれた蔵だった。本丸に数ある蔵の中でもひときわ雑然としたその蔵を、闇鍋蔵と呼ぶものもいるとかいないとか。
物吉貞宗がソハヤノツルキとともに蔵を訪れたのも、ひとえに闇鍋状態を解消するため──すなわち掃除のためだった。とはいえ蔵の掃除はさしもの物吉貞宗といえど「する」と決めていきなりできるようなものでもなく、今日のところは蔵の中身の把握が主な目的である。
来たる年末の大掃除に向けた、いわば前哨戦だ。
本丸にもずいぶんと刀剣男士が増え、その分、蔵の中身も輪をかけて雑多になってきた。まだ霜月も下旬を迎えたばかりではあるが、準備をしておくに越したことはないだろう。
物吉貞宗の傍らにいるソハヤノツルキもまた、今年になって増えた刀のひと振りである。
彼が顕現した葉月のころには緑を成していた庭の木々も、今は少しずつまとう色を赤や黄へと変えている。陽炎が揺れていた庭を吹き抜けるのは、寒さを誘う木枯らしばかり。あとほんのひと月もすれば、屋敷は雪化粧に染まるのだろう。
──六百年前に主を違えたソハヤノツルキとこの本丸で再会してから、三か月が過ぎた。
その時間を『もう』というべきか、はたまた『ほんの』というべきか、正直なところ物吉貞宗にはよくわからない。
ただ、刀剣男士として過ごす日々の中で、ふと傍らを見たときにこの友人の姿が在ること、そしてその時間がまだしばらくは続くことを思うと物吉貞宗の胸には暖かななにかが広がる。
「ほんとにいろんな催しごとやってんなあ」
しみじみと呟くソハヤノツルキを見上げ、物吉貞宗は満面の笑みを浮かべた。
「花火大会、とっても楽しかったです。今度はソハヤさんも一緒にやりましょうね!」
ソハヤノツルキはつられたように微かに口元をほころばせ、その手のひらで物吉貞宗の頭をぽんと叩く。
ただそれだけで、物吉貞宗も浮かべる笑みを深めてしまうのだ。
確認を終えたふた振りが蔵を出たのは、一刻ばかりあとのことだった。
蔵の戸口に錠をおろす物吉貞宗の腕にはさきほどの花火が抱えられている。
「それ、どうするんだ?」
「火薬類ですので、念のため主様に報告しておこうかと」
あるいは、この蔵ではなく別の蔵へ移すよう指示を受けるかもしれない。
物吉貞宗は戸口の錠がしっかりとかかっていることを確認してから、顔をあげた。
「お手伝い、ありがとうございました。今度はボクにお手伝いできることがあれば、なんでも言ってくださいね!」
「……なんでも、ねえ」
物吉貞宗の申し出に、しかしソハヤノツルキは渋い顔をした。
「どうするんだよ。龍の頸の珠を持ってこいと言われたら」
「それは難題ですねー」
物吉貞宗は適当に相槌を打ってから、首を傾げた。
「欲しいんですか?」
「そんなわけあるか。簡単に『なんでも』だの言うが、無茶を言われたらどうするって話だ。俺はお前がそういうやつだと知ってるからいいが、誰彼構わず口にするなよ」
「ボク、簡単になんて言ってませんよ」
本当になんでもしたい相手だから言っているのだ。
「あー、そうだろうよ」
しかし返ってきたのはぞんざいな一言だった。どうやらこれ以上問答を重ねるつもりはないらしい。
どうにも伝わっていないような気がして、物吉貞宗は再び口を開き──
「──あ、いたいた!」
不意に響いた声に目をやれば、乱藤四郎を先頭に数振りの粟田口の兄弟がこちらへと駆け寄ってくる。
物吉貞宗は身体ごとそちらに向き直り、挨拶を口にした。
「こんにちは。なにか御用ですか?」
「あのね、蔵の鍵を貸してほしいの。主さんに聞いたら物吉が持って行ったよーっていうから、探しにきちゃった!」
「ボクは構いませんよ。なにか探しものでしたら、お手伝いしましょうか?」
「探し物っていうほどでもないんだけど……」
物吉貞宗の申し出に、乱藤四郎は背後の前田藤四郎や五虎退としばし視線を交わしてから、青い瞳を再び物吉貞宗へと向けた。
「この前、包丁が顕現したでしょ。それで、粟田口のみんなで歓迎会をすることになったの」
突如上がった古なじみの名前に、物吉貞宗は反射的にソハヤノツルキと顔を見合わせた。
乱藤四郎のいう通り、包丁藤四郎はほんの二週間ほど前に顕現したばかりである。そのときにも本丸をあげて歓迎会は行った(とはいいつつ、たいていただの宴会となる)のだが、兄弟だけで改めて行うつもりなのだろう。
「そのときになにか使えるものがあればと思って、蔵を回ることにしたんです」
「し、したんです」
兄のあとを継ぎ前田藤四郎が語る横で、五虎退がこくこくと首を縦に振る。
「あ、そういうことでしたら、この花火はどうですか?」
「……おい、物吉」
ひらめきとともに花火の袋を差し出せば、小声でソハヤノツルキに呼びかけられる。
「それ、もしかして夏にやった花火大会のやつ?」
しかし物吉貞宗が太刀の呼びかけに答える前に、乱藤四郎が口を挟んだ。
物吉貞宗はひとまず目の前の短刀へと微笑みを向けて、
「そうだと思います。花火をするにはちょっと季節外れですけど」
「で、でも、そのときは包丁もいなかったので、僕はいいと思います」
「物吉さん、いいんですか?」
見上げて訊ねる前田藤四郎に、物吉貞宗はひとつ頷いた。
「是非どうぞ。ボクは掃除をしていてたまたま見つけただけですから」
「ありがとうございます!」
花火を受け取った粟田口の短刀は、みな一様に輝く笑顔を浮かべた。それを見た物吉貞宗もまた頬をほころばせる。
「大丈夫だとは思いますが、念のため主様に確認はしてくださいね」
「そうですね。どの道、花火の許可もいただかなければなりませんから。よろしければ鍵も僕たちが主に返しておきましょうか」
「あ、じゃあお願いしますー」
ありがとうございますと謝辞を述べながら、物吉貞宗は前田藤四郎の小さな手のひらへ蔵の鍵の束を乗せる。
「ありがとねー!」
花火を胸に抱えた乱藤四郎は元気に声をあげ、五虎退は小さくお辞儀をし、前田藤四郎はひとつ深々と頭を下げる。
三者三葉に別れの挨拶をしながら背を向ける粟田口の短刀にしばし手を振った後で、物吉貞宗は相好を崩して傍らの太刀を見上げた。
「このあとの用事はないって言ってましたよね。お茶でも淹れましょうか?」
「……お前、良かったのか?」
急に、ソハヤノツルキは複雑そうな顔でそんなことを言った。
物吉貞宗は彼の問いかけに数度瞬きをして、小首を傾げた。
「なにがですか?」
「お前だって、花火をやりたかったんだろ」
「──ああ」
ややあって、納得の吐息を漏らす。
やりたかった、とまで言われると少々飛躍の感はあるが、なんにせよソハヤノツルキなりに物吉貞宗の意を汲んでのことなのだろう。彼の気遣いをありがたく思いながら、物吉貞宗は微笑みを浮かべた。
「そうは言っても、ボクが粟田口のみなさんに混ざるわけにはいきませんから」
兄弟水入らずの時間である。
いくら包丁藤四郎とかつての主を同じくしていた物吉貞宗といえども、割って入るのは無粋極まりない。
見送る粟田口の短刀はみな、ぬけるような秋空の下でまぶしい笑顔を浮かべている。その様子を見ているだけで、物吉貞宗の心は満たされ、口元がほどけてしまうというものだ。
しかしソハヤノツルキはもどかしげに頭をかいた。
「いや、そうじゃなくてだな……ちょっとここで待ってろ」
言い置いて、一歩踏み出したソハヤノツルキはふとこちらを振り返り、
「いいか。動くなよ。待ってろ」
「………………」
何故か釘を刺される。
物吉貞宗は言いつけの通りその場に佇んだまま、短刀のあとを追うソハヤノツルキをじっと見守った。
三振りの短刀に追いついた太刀は、彼らとなにやら言葉を交わしているようだ。太刀の大きな背中に隠れて、物吉貞宗にはなにを話しているのかよくわからない。
やがて踵を返したソハヤノツルキは、三振りの短刀に一度だけ手を振ってから足早に物吉貞宗のもとへと戻ってきたかと思えば、
「ほらよ」
そういって、こともなげに数本の花火を差し出した。
物吉貞宗はじいっと花火を見つめてしばし、再び首を傾げてしまう。
「なんですか?」
「花火。分けてもらったぜ」
「なんでですか?」
問いかけると、ソハヤノツルキの方が眉をひそめた。
「いや、だから、お前もやりたかったんだろ?」
「いえあの、そうじゃなくて。えーっと」
困惑のあまり言葉を詰まらせてしまう。
どうして自分が花火を差し出されているのか、物吉貞宗にはさっぱりわけがわからなかった。
──いや、違う。本当はわけぐらいわかっている。
ソハヤノツルキが花火を差し出しているのは、物吉貞宗のためだということくらい。
物吉貞宗が花火をやりたがっていると思ったから、彼は粟田口の兄弟に交渉をして花火を分けてもらったのだ。
ただそれだけの単純な話だと、頭ではちゃんとわかっている。
わかっているのに──どうしてか身体は動かなかった。
「ほら」
今一度受け取るように促され、物吉貞宗は反射的に手を伸ばしてしまう。
おそるおそる数本の花火を受け取って、物吉貞宗はソハヤノツルキを見上げた。
「……いいんですか?」
「さっきからなんだよ。なにかまずいのか?」
渋り続ける物吉貞宗の様子に、ソハヤノツルキは訝る──どころかへそを曲げ始めているらしい。
「いえ、そんなことないです」
慌てて首を左右に振って、彼の言葉を否定する。
そうだ。まずいことなどひとつもない。
自らに言い聞かせて花火を握りしめると、戸惑いばかりであった物吉貞宗の胸中に段々と温かな感情が広がってくる。
「……ありがとうございます」
「いいってことよ」
礼を述べると、ソハヤノツルキはいつもと変わらぬ快活な笑みを浮かべる。
物吉貞宗はなんだか胸がつまるような心地がして、微かに顔を伏せた。
この太刀は分け隔てなく面倒見が良い。だからこの行いも彼にとっては普段の振る舞いの延長に過ぎず、何気ないことなのだろう。
「……ソハヤさんはすごいですね」
「ん?」
訝る声に、物吉貞宗はぱっと顔を跳ねあげて、
「ボク、分けてもらうなんて思いつきませんでした!」
「お前は頭固いからな」
「そんなことないですよー」
「少しは欲張ればいいんだよ、お前も」
軽い口調でそう言って、ソハヤノツルキは物吉貞宗の頭を軽く叩く。
欲張る。物吉貞宗は口の中で小さくその言葉を繰り返した。
難しいな、と思った。もう何百年も幸運を与える側に立っていたのである。その間、なにかを欲するなど思いつきもしなかった。
──もしも。
もしも、なにかを求めていいのであれば。
「手を繋いでもいいですか?」
「は?」
突然の申し出に、ソハヤノツルキは間の抜けた声をあげた。
「ソハヤさんと手を繋ぎたいです」
改めて、はっきりと申し出る。
ソハヤノツルキは困惑するように視線を泳がせていたが。
「……ほらよ」
ややあって差し出された右手に、物吉貞宗は左手を重ねた。
「えへへ」
あふれる感情そのままに笑いかけると、彼はなにも言わなかったが、少々強張っていた頬が力を抜くようにほころぶ。太刀の笑顔を写す薄橙の瞳を細めながら、物吉貞宗は喜びの中にほんのひとさじの惑いを覚えていた。
右手には彼から渡された花火を握り、左手には彼の温度を抱いている。
この手にあまるほどの歓びを、この胸からあふれるほどの喜びを受け取って、けれど一体彼になにを返せるというのだろう。
どちらからともなく歩き出しながら、物吉貞宗は静かに言葉をこぼす。
「ソハヤさん。やっぱり、なんでも言ってくださいね」
「お前なあ……」
「違いますよ。ソハヤさんだから言うんです」
呆れをのぞかせるソハヤノツルキに先んじて、物吉貞宗は断言した。
「ソハヤさんだから、なんでもしたいです」
笑みを湛えて見つめれば、ソハヤノツルキの唇がおもむろに開かれ、しかしそのまま動きが止まる。
「……ま、思いついたらな」
歯切れの悪い口調と態度に、物吉貞宗は繋ぐ手のひらを強く引いた。
「今、なにか言いかけましたよね?」
つま先を伸ばして詰め寄ると、ソハヤノツルキはどこか慌てた様子で物吉貞宗の顔を押し返した。
「いきなり顔、寄せんな」
「なんでですかー」
抗議の声を上げながらとりあえず大人しく引き下がる。しかしソハヤノツルキそれきりすっかり顔を背けて、一瞥すらくれない。
物吉貞宗はソハヤノツルキから渡された花火に一度視線を落とし、それから手のひらを結ぶ相手の横顔を見つめた。
──たとえこの先、なにを差し出すことがあっても。
この温もりだけは譲りたくないなあ。
胸中でそっと独りごち、物吉貞宗は結ぶ手のひらに力を込めた。